セヴンとの出会い    学生の頃

 私がセヴンに出会ったのは、いつのことかもう覚えていません。もちろん実車を見たということはありません。
 ただ、CG(カー・グラフィック)誌で、ロータススーパー7を作るのをやめたという記事を見て、動揺したことは覚えています。

 当時はおりしもスーパーカーブームで、私もフェラーリだなんだと夢中でした。F1にも興味を持った私は、JPSカラーを身にまとったロータスF1が大好きでした。

 そしていつしか気がついてみると、私の夢に出てくる車はDinoでも250GTOでもなく、ロータス・ツインカムを積んだスーパー7ばかりになっていたのです。値段は高いけれど、いつかは買えるかもしれないという現実味がわずかでも感じられたのかもしれません。ライトウェイト・スポーツという言葉に酔っていたのかもしれません。
 でも7しか夢に出なくなったのです。

 でもバイトとわずかばかりの仕送りで生活する大学生になってからは、いつしか夢に出なくなりました。月に一度のバイト代が入った日に、ファミリーレストランで一番安いステーキを食べるのが最大の楽しみの身分では、当然だったかもしれません。
 父親から譲り受けたポンコツコロナで走り回る日々が続きました。

学生時代のアパートの前で。鉄チンホイールに185/70のタイヤが時代です。

夢想にふける日々    家庭を持って

 そんな私の耳に大ニュースが飛び込んで来ました。セリカXX2000GT TWINCAM24の発売です。
「ロータス社との共同開発から生まれたロータスチューンド・サスペンション」「F−1マシン設計のなかで培われた、有形無形のノウハウがチューニングに活かされている」「時代はオーバー7,500r.p.m.で動き出した」「ロータス」「ツインカム」「コーリン・チャプマン」

 呪文のように鳴り響き、私は日に3箱喫っていたタバコをやめました。そして1年近くたって、何もかもつぎ込み、親に借金までして購入しました。

波当津海水浴場にて

 早速、フェンダーミラーを出たばかりの純正後付ドアミラーに換え、フェンダーの穴も埋めました。上の写真は近くの海水浴場で撮った写真です。

24歳の頃かなあ

 上の写真で後ろに見えるのは九州の反対側、平戸大橋です。

日本海は海がきれい

 上の写真は結婚前に残しておこうと山口でとった写真です。合計で10万km近く乗りました。でも、結婚を控えて現金が必要な私を見かね、弟が70万円で引き取ってくれました。(弟はそれから8万km近く乗ったあと、60万円でスカイラインの下取りにだしました。日産の人ごめんなさい。)

 当時結婚して数ヶ月の私に決定的な影響を及ぼす記事がCG(カー・グラフィック)誌87/7月号に載りました。「スポーツカー乗りのモノローグ ひとりで疾走るスポーツカー」という、当時編集部員だった熊倉重春氏の一文でした。一緒に写ったFERRARI 328 GTBよりも7の方に目がいってしまいます。この日から再び7の夢を見るようになりました。

 毎日7の記事が載った雑誌を眺めては、深々とため息をつく日々が延々と始まったのです。 
 現実はもちろん甘くなく、またまた父親のお下がり(廃車予定)のマークUに乗り、

湯布院のペンションで

2代目カローラFXに乗り、

新築中の我が家の前で

エスティマ・ルシーダに乗り、いつしか家も建て(長男ということで両親同居、支払も共同)、子どもも3人(最初が双子でした)になりと、おとなしく暮らすようになりました。

オムライス号

 そんな私に転機が訪れます。友人がMR2のターボモデル(245PS版)を購入したのです。試乗してその強力な加速にビビリながらも押さえ込んでいた虫が密かに騒ぎ始めました。

フロントが浮き上がる加速というのを初めて実感した車です。

ショップへのぞきに     現実感なし

 「まあ、何年かかるかわからんけど、とりあえず一度見に行ってみようかな。店の場所を知っとくだけでも意味があるよ」と遠い目標に位置づけ、全く金銭的裏付けのないまま、MR2乗りの友人を巻き込み、片道5時間の道を走ってショップに行きました。
 毎日のため息に辟易した私の奥さんから「ま、希望だけきいておきましょう。一応検討のテーブルにのせるということで、 買っていいというわけではありませんよ。そんなお金は全くありませんから。」と少し前向きの発言が聞かれたからでした。
 友人はいつも私と酒を飲むたび、セヴンの話を聞かされうんざりしていた様子でしたが、なんせHONDA CB1100Fをかつては転がしていたほどの強者でしたので、「ま、おまえがそれほど言うのなら」とさしたる抵抗もせずつきあってくれたのです。
 今になって考えると、友人も何年も私の話につきあう中で、セヴン憎からずと思うようになっていたに違いありません。

 ショップでは「適当にあしらわれているな」という第一印象でした。ショップのオーナーから「買おうかどうか迷っているうちは、うちの店に来て欲しくない」って、のっけから言われました。
 でも、「乗って見なきゃ何にも始まらんからね。」と1台のセヴンに火を入れ、暖気運転を始めました。そしていきなり「どうぞ、2人で乗ってくるといいよ」と言ってくれたのです。コクピット・ドリルは完璧なはずでしたが、舞い上がってしまって完全に頭から消えていました。もちろん、いきなりエンスト。ブルックランズタイプのレーシングスクリーン仕様だったこともあって、60km/h以上は怖くて出せませんでした。
 雑誌では「比較的平和」と言われているOHVのSS(スーパー・スプリント)というグレードでしたが、友人もビックリしたようで、途中で代わろうと言うと、「今日はお前が乗るために来たんだから」と言って、動こうとしませんでした。ショップに戻ると、「もう帰ってきたの?もっと乗ってくればよかったのに」と笑いながら言われてしまいました。

 その後、ショップのオーナーから話を伺いましたが、独身貴族で大型バイクの経験を持つ友人とオーナーの会話ばかり盛り上がり、私はもっぱら聞き役。やっと「職業柄乗るのは難しいかも」と言うと、「そんな周りを気にしてるようじゃセヴンには乗れないよ。」と言われてしまいました。
 私としては、「もしスピード違反で捕まったらクビがかかる」という心配から出た言葉でしたが、シュンとなってしまいました。でも、体にしみこんだセヴン特有のNVHはシュンとはならなかったのです。

そりはないだろう      グリーンのBDRなんて 

 その後、友人に異変が起こりました。セヴンの記事がよく載る「Tipo」という雑誌を買うようになり、「GTロマン」のコミックスを買い込み、今まで適当に相づちを打っていたセヴン関連の話題を積極的に自分の方から切り出すように変わったのです。

そして一年後の夏がやってきました。彼が、「俺が買っちゃうというのもありかも」と言い始めたのです。「予算からいってOHVのSS(スプリント・スペシャル)だ。お前のようにBDRに特別な思い入れがあるわけじゃなし。」といいながら再び5時間の道のりを二人で走って行きました。
 良さげなOHVのSSを見せてもらったけど、やや気になることがあってその場では踏み切れなかった友人でしたが、数日して「買うことに決めた」と恐ろしいことをいうのです。でもその数日間に目的の車は売れてしまったのでした。一度は縁がなかったと諦めた友人でしたが、しばらくして「BDR−Sの出物があるよ。色はグリーン。」という情報を手にしました。そして結局その車を購入したのです。

オートポリスにて。写っているのは「彼」です。「Tipoドラジャケ」に身を包みポーズを決めています

 私はわけのわからない感情で押しつぶされそうでした。自分が一番欲しいと思っているグリーンのBDR−S。それをなんで彼が・・・セヴンが近くにくる。時々は乗れる。しかし・・・。このときほど複雑な心境になったことは今までありませんでした。友人は「ま、ときどき貸してやるから」と言い、事実快く何度も貸してくれました。友人のセヴンで終日ドライブを楽しみました。 

納車直後のセヴンを借り出して小谷商店へ。まだアルミがピカピカしています

でも、私はますます深いため息をつくようになっていったのです。

ダイエット作戦実行     10kgやせたら・・・

 そんな私のため息を冷ややかに無視しているように見えた奥さんが「そんなに欲しけりゃ欲しいなりを見せればいいじゃない。 そうね。10kgやせたら考えてあげるわ」と口にしたのです。後から聞いた話によると、「どうせできるわきゃないんだから、ま、後3年ぐらいは かかるだろう。その間に貯金に励むか」と思っていたんだそうです。しかし、家計の状況を知っている私は、本当に買えたりするわけがないと思っていたので、毎日のらりくらりと過ごしていました。 

 友人のセヴンを借りてドライブしたある夜のことでした。「やっぱりセヴンいいなー。いつになったら俺も買えるのかなあ〜」といつものため息をついていると、いい加減うんざりしたのか「どうしてダイエットしないの。出来れば買っていいと言ってるじゃない。本当は欲しくないの?」と奥さんの方が言い出しました。
 「そりゃ、欲しいのは山々だけど、我が家の家計で買えるわけが・・・」
という私に、「そんなことはあなたが考える事じゃない。さっさと痩せれば」 とのお言葉。その言葉に私の中で欲望がパチンとはじけました。
 ちゃっかり「じゃ、もう2kg痩せたらBDR−スペシャル買っていい?」と攻め込むのも忘れずにしました。

 家族が食べる焼き肉もビールも見るだけ。大好きな刺身と酒もおあずけ。私の場合は秋冬にトライしましたので、基本的に鍋で野菜ばかり食べていました。料理一皿ごとの熱量を載せてある本も買い込んで研究した結果、だいたい料理の皿を見れば何キロカロリーぐらいあるか見当がつくようにまでなりました。
 でも、でも、刺身が食べたーい!酒が呑みたーい!オレは牛じゃねーぞー!
 野菜を買いにお店に行けば、魚屋の大将が「oceanさん、今日はシマアジのいいのが入ってるよ」と悪魔のささやきをかけてきます。酒屋に寄れば店長が「この鑑評会出品酒、昨日入ったけどいい造りしてますよ。今年は3本しか入らんけど要りますか」と声をかけてきます。
 
どうすりゃいいんじゃ〜!

悩んだ末に超高級路線をとりました。金がないから、我慢できなくなったときだけ。酒は鑑評会出品酒クラスにする。刺身はあわび・くるまえび・関さば・関あじクラスにする。肉は馬刺し、鹿刺しにする。満腹の喜びの代わりに。食い散らかすのがもったいないから、ほんの少しずつ。やはり人間、食べる楽しみはどこかで満たさないと人格がこわれてしまいます。鬼気迫るものがあったと後で親父が言っていました。結果として、3ヶ月半で12kgの減量に成功しました。今でも「よくやったなー」と思います。

ついにオーナー       分不相応とは分かっちゃいるが

 観念した奥さんの、「さっさと買いに行けば。お金はなんとかなるでしょ。足りない分は全部借金ですからね」の言葉に励まされ、新年早々ショップに向かいました。セヴンを先に購入した友人から私の努力は聞いていたようで、今度は最初から「仲間」という感じで迎えてもらえました。
 その他の詳しいことはよく覚えていません。ただ、資金にするため売却するつもりのエスティマ・ルシーダを下取ってくれることになったことで、余計な手間が省くことができました。それで一週間後に素早く納車を受けることとなりました。ルシーダの代わりの足車は、奥さんの親父さんが乗らなくなって放置しているスバル・ドミンゴをただでもらえることになりました。(走行7万kmと思っていた車が、実はメーターが2周した後だったというのは、200km離れた奥さんの実家へ車を取りに行ったときに聞かされました。)

行きつけの別府「小谷商店」前にて。納車直後の写真です

 このドミンゴには泣かされました。エアコンがないのは分かっていたことでしたが、なんせ27万km走った車です。整備に結構手間取った上、すぐオーバーヒート。真夏の昼間ヒーターを全開で走るなんて日常茶飯事でした。2台持っている車が両方エアコンなしなんて、町でも我が家だけだろうと自嘲するばかりです。あまりの酷さに家族が耐えかね1年で退役、年末に40万円引きという条件でカローラ・ワゴンのディーラー在庫車に乗り換え、現在に至っています。

丸幸ラーメンセンター前にて。文句も言わずよく走るカロゴン。いい車です。

 セヴンはといえば、親父のクラウンを押しのけて、2台分あるガレージの広い方を占有するようになりました。友人とも2台連ねてのツーリングもしました。道を走っているとたくさんの人が寄ってきます。(ほとんどが父以上の年齢の方ばかりですが)「兄ちゃん、こんな車乗ってると愉しいやろ〜」と言われ、にやけるのにも慣れてきました。警察に止められ「なんだナンダ」と思っていると、「いいですね〜何処の国製ですか」と言われ、胸をなで下ろしたことも一度や二度ではありません。屋根一つなくなっただけで世界が広くなりました。

でも、体重が戻ったらセヴンは売却!と宣言する奥さんに対して、現在の体重を公表することは断じてありえません。。